【短編小説】あゆみ姉ちゃんと俺(再会編)最終話

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第5話(最終話) 夜明け前の約束

 握りしめられた手の熱が、俺の全身へと伝わってくる。
 姉ちゃんは、まだ目を閉じたままだ。寝ぼけているのか、それとも意識してのことなのか。その答えを問いかける勇気は、今の俺にはなかった。ただ、このまま時間が止まればいいとさえ思っていた。

 深夜の首都高速。オレンジ色の街灯が、規則正しく車内を照らしては過ぎ去っていく。
 光が差し込むたび、横顔に落ちるまつ毛の影が震えているのが見えた。
「……起きてるんだろ、姉ちゃん」
 絞り出すような俺の声に、彼女はゆっくりと目を開けた。だが、握った手は離さない。
「……バレた?」 
「心臓の音、こっちまで聞こえてきそうだったからね」
 彼女は少しだけ照れくさそうに笑い、ようやく手を離した。
 自由になった俺の手のひらには、彼女の体温が消えない残像のようにこびりついている。

「ねえ、たけちゃん。さっき、変なこと言ったでしょ」
「えっ……何か言ったっけ」
「『姉ちゃんを振るなんて後悔する』って。……嬉しかったよ」
 すべて聞かれていた。顔が火が出るほど熱くなる。 

 俺はごまかすように、彼女に告げられたマンションの住所へ向かって車を走らせた。

 都心の高級マンションが立ち並ぶエリア。そこは、俺のような一般人が足を踏み入れることのない場所だった。
 エントランスの前に車を停める。エンジンを切ると、不自然なほどの静寂が二人を包んだ。
 もう、行かなきゃいけない。
 彼女がドアノブに手をかけたとき、俺は思わず口を開いていた。
「……姉ちゃん」
「なあに?」
「また、辛くなったら連絡しろよ。長野まで行かなくても、東京ならすぐ駆けつけるから」

 彼女は驚いたように目を見開き、それから、20年前のあの洞窟で見せたような、心からの笑顔を浮かべた。

 彼女はバッグから自分のスマートフォンを取り出すと、慣れた手つきで画面を操作し、俺の目の前に差し出した。
「これ、マネージャーも知らない私のプライベート用。……ねえ、交換しよ?」
 差し出されたQRコードを読み取ると、画面には『あゆみ』というシンプルな名前のアカウントが表示された。
 震える指で『追加』を押す。その重みに、息が止まりそうになる。

「それから、一つお願い」
 彼女は車を降りる直前、振り返って俺をじっと見つめた。
「次からは、もう『姉ちゃん』って呼ぶの禁止。私も『たけちゃん』じゃなくて、一人の男の人として……『たける』って呼ぶから。あんたも、私のこと『あゆみ』って呼んで。……いい?」

 俺の答えを待たず、彼女はいたずらっぽくウインクをして車を降りた。

「家に着いたらメッセージ送ってね。おやすみ、たける」

 夜の闇に消えていく彼女の背中を見送りながら、俺はハンドルに突っ伏した。 車内に残った微かな香水の匂いと、スマホの中で繋がったばかりの『あゆみ』という文字。

 20年前、秘密基地で泣いていた彼女を抱きしめたあの日から、止まっていた時計の針が、今、猛烈な勢いで動き出したのを感じていた。
 俺たちの物語は、きっと、ここから始まるんだ。
(完)

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