第4話 大女優の告白、重なる手
サービスエリアの照明が届きにくい、駐車場の隅に車を滑り込ませた。
夜十時を過ぎても、元日のサービスエリアは家族連れや帰省客で賑わっている。
「まだ人が多いな。やっぱり、こういう時って変装するの?」
「うーん、ガチガチにはしないけど、帽子やマスクは一応ね。でも、今日はちょっと……落ち着いてたけちゃんに話を聞いてほしくて『休憩しよう』って言ったんだ」
彼女の少し湿り気を帯びた声に、胸の奥がざわつく。
「じゃあ、飲み物買ってくるよ。何がいい?」
「ホットのカフェオレがいいな」
「了解。ちょっと待ってて」
車を出て、自動販売機へ向かう。冷たい夜気が頬を撫でた。
(どんな話だろう。出発する時の叔母さんのあの顔……まさか、重い病気とかじゃないよな?)
最悪の事態を想像してしまい、居ても立ってもいられず、俺は足早に飲み物を買って車へと戻った。
「はい、カフェオレ。姉ちゃん、昔から甘いの好きだったもんな」
「ふふ、よく覚えてたね。ありがとう」
温かい缶を受け取った彼女の手が、一瞬だけ俺の指先に触れた。車内に、ふっと沈黙が降りる。
あゆみ姉ちゃんは意を決したように、ゆっくりと口を開いた。
「実はね……最近、失恋しちゃったんだ。週刊誌には撮られてないから、誰にもバレてないけど。こっそり恋して、こっそり破局してたの」
「――えっ」
喉まで出かかった言葉を、必死に飲み込む。
(突然、何をカミングアウトしてるんだ、この人は!)
心臓が激しく脈打つ。
あの日、秘密基地の帰り道と同じだ。かけるべき言葉が見つからず、俺はただ「……うん」と短く頷くことしかできなかった。
「相手が誰かは言わないけど、二年近く付き合ってたんだ。でも、他に好きな人ができちゃったんだってさ」
彼女は自嘲気味に笑ったが、その瞳にはみるみる涙が溜まっていく。
「本当は仕事なんてできる状態じゃなかった。でも撮影は止まってくれないし、セリフは覚えなきゃいけないし……。もう、ボロボロだったんだ。お母さんに電話したら『正月に帰ってきて、みんなに顔を見せて、みんなの顔見て、パワーをもらってきなさい』って言われて」
話しながら、彼女の目から一粒の涙がこぼれ落ちた。まだ癒えていない傷跡を目の当たりにして、俺の中には、その「名もなき男」に対する猛烈な嫉妬に似た感情が渦巻いた。
「それでね、これは私の直感なんだけど……今年の正月は、たけちゃんが来てくれてる気がしたの。確証なんてなかったけど、そしたら本当にいた!」
彼女は涙を拭い、懐かしそうに目を細めた。
「嬉しくてすぐ駆け寄りたかったけど、あんなに囲まれちゃったら話せないでしょ? だから、たけちゃんが車で帰るって聞いた時、ここしかないって思って……強引に乗せてって頼んじゃった。ごめんね、わがままで」
「……あー、すっきりした!」
毒を吐き出すように彼女は笑った。
「お母さんに話すと『あんたが悪い』とか『男を見る目を養え』とか説教ばっかりだけど、たけちゃんはただ黙って聞いてくれるもんね。ありがとう」
本当は、言葉が見つからなかっただけなんだ。でも、彼女の心が少しでも軽くなったのなら、それでいい。
「……すごいカミングアウトだったけど、とりあえず元気出してよ。まあ、その……」
俺は視線を逸らし、消え入りそうな小声で付け加えた。
「……相手の男に、嫉妬しちゃうけどな」
「え? 何か言った?」
「……何でもないよ!」
彼女はケタケタと愉快そうに笑い、「よし、出発!」と右手を上げた。
再び高速道路を走り始めると、複雑な思いが胸を締め付けた。 失恋話を打ち明けられるということは、やはり俺は「信頼できる弟」のままなのだろうか。それとも――。
緊張が解けた疲れからか、彼女は次第にウトウトし始め、やがて深い眠りに落ちた。
ふと、目的地を聞いていないことに気づく。大女優の住む場所なんて、怖くて自分からは聞けなかった。でも、もうすぐ東京に入る。
(……姉ちゃんを振るなんてな。こんな綺麗な人、そうそういないぞ。絶対、あいつ後悔するからな)
寝顔に向かって、独り言が漏れる。
目的地を確認するために、俺はシートに投げ出された彼女の手に、遠慮がちに触れた。
「……姉ちゃん、起きて。場所、どこ?」
チョン、と指先で突っついた、その瞬間。眠っていたはずの彼女の手が、熱い体温とともに、俺の手をぎゅっと力強く握りしめた。
最終話に続く
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※この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは一切関係ありません。


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